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2011年9月

2011年9月29日 (木)

早朝の納品。

 今朝、納品のために、しばらくぶりでラッシュアワーの通勤電車に乗った。昨日から急がれている品物を持って、乗車した電車は、京浜東北南行電車。そんなに混んでは居ないと思ったが、上野に着いたら身動きできないくらいにお客が乗ってきた。そのまま、秋葉原、神田、東京と乗り、有楽町からは徐々に空いてきた。目的の駅について、納品先まで行って品物を置いてきたが、そちらさんも、本日完成納品の予定で、いつもより1時間早く出勤だそうだ。お互いお疲れ様であった。そのまま取って返したわけだが、帰りの電車の中では、女性専用車終了の案内をしていた。学生生活を終わってから、通勤が無い毎日なので、通勤時間の様子から離れてしまった私には、新鮮に聞こえた。そういえば、登場した時には、いろいろ言われた、6ドア車もつい先日山手線からも姿を消してしまった。ラッシュアワーの電車も、たまには乗ってみる物か・・・。

Saha208interia01

これは、折りたたみをやめる寸前の6ドア車の車内。今となっては貴重。

2011年9月24日 (土)

異境の世界?

今日は、息子の所用があって、再び東武のお世話になった。毎度思うけど、どうして東武は、伊勢崎線は久喜どまり、日光線は南栗橋どまりにそろえてしまったのか?
 今日はたった一駅のために久喜で乗換えを強要されたことになった。というのも息子が「ここまで来たら、行って見たい場所がある」というので、言われるがままについて行った。
 で、久喜で乗り換え次の鷲宮へ・・・。
Kuki110924011_3

着いた。何も分からず、言われるままに下車。 Wasinomiya_4

階段を上ったところで、これは「なに?」

Wasinomiya03_2  
駅前のみやげ物やか、駄菓子屋か?にもこれ。
Wasinomiya04_2
街中を5分ほど歩いて目指すところに到着。
Wasinomiyajinjya01_3

興奮する息子。ここはアニメ、「らき・すた」の舞台になった、鷲宮神社である。
Wasinomiyajinjya06_4 Wasinomiyajinjya02_2
鳥居をくぐって境内に入ると絵馬掛け所があった。

Wasinomiyajinjya04

 

ぜーんぶアニメの絵馬!中には、お鉄系のものもたくさん!一回りして見たがまーほとんどこれ系ばかりだった。

 ついでに、覗いた駐車場にも「イタ車」なるものも停まっていた。

Wasinomiyajinjya05_2
せっかく来たので、お賽銭を上げて、とりあえず受験生の息子の合格祈願をしておいた。まあ、アニメの聖地で合格祈願も無いかと思ったが・・・。

とにかく、私にとっては異境の地の感覚だった。

Wasinomiyast  という訳で鷲宮の街中をちょっと散策してきた。

Wasinomiyainu1jpg

2011年9月23日 (金)

台風の余波。

 台風の余波がまだ残っているようだ。身延線、小海線などで不通箇所が出ているようだ。東北線も、まだ黒磯から先は運転見合わせらしい。そのため今日のカシオペアは、運休になり、上越線周りで回送されてきた。
Ef641051e2601 牽引機は長岡のEF641051が担当した。残念ながらヘッドマークは無しだった。回送ながらEF64が牽引するE26系は早々お目にかかれないので、お墓参りに行く前にちょっと撮りに行ってみた。このまま尾久に取り込むかと思ったら、そのまま上野に向かって行った。

(機関車の手前が渡り線)

そこで、尾久操回送線に場所を代えて推回を待つことにした。30分ほど待つと回送のE26
Suikai9012とEF641051が戻ってきた。
このまま今日は、運休かと思いきや、16:20に同じEF641051の牽引で上越線・羽越線回り迂回9009レとして、札幌に向かって行った。

2011年9月21日 (水)

台風15号襲来!

 台風15号が首都圏に襲来した。沖縄・奄美付近でしばらく迷走し、後から発生した16号を追う様にやってきた。
 けさは、息子の学校からの連絡メールでたたき起こされた。台風接近のため臨時休校の連絡である。程なく電話連絡網も掛かってきた。都心も朝から雨模様だったが、それほど強い風を感じるほどではなかった。しかし、昼ごろから雨も激しくなり、風も強くなってきた。夕方の4時ごろから本格的な豪雨になり、5時ごろには首都圏の鉄道網は麻痺状態となった。仕事の最中、携帯のワンセグで、NHKの台風情報を見る。各地の被害状況が刻一刻と報道されていた。8時ごろ宇都宮付近を通過中とのニュースを聞く頃には、だいぶ風雨も収まってきたようだった。これから、東北、北海道沖に進むようだが、大きな被害を起こさないように祈っている。
 今年は、3月の震災に始まり、信越地方の地震、新潟・福島の豪雨、紀伊半島での豪雨災害で出来たせきとめ湖の危険状態ははいまだに続いている。そこにまた今回の台風15号の襲来。天候のことなのでどうすることも出来ない空しささえ感じる。災害にあわれた方々、緊急避難された方には、心よりお見舞い申し上げると共に、一日も早い復旧、復興をお祈り申し上げる。

2011年9月16日 (金)

京成高架の耐震工事

Keiseikanban02 今朝、散歩に出たら数日前から作業が始まっていた京成高架の耐震補強工事の足場が組まれていた。
 左の写真は道路に面した橋脚であるが、白地に黒文字で、メッキ屋の看板が書かれていた。うっすら見える2桁の電話局番からすると、昭和20年~30年くらいのものだろう。
 ここは、京成日暮里駅改良工事で上下線が1階と3階とに分かれる上野側の始点になっているところで、工事の前は高架下に住宅や工場、倉庫などが間借りしていた。
 小学校の頃、同級生がここを間借りしていて、1度だけ中に入れてもらったことが有った。 この看板は、その建物の外壁を撤去した際に現れたものだった。多分補強工事の終わったあとは、綺麗に消されてしまうことだろう。また、1つ昭和の面影が消えてゆく。

2011年9月14日 (水)

第32回日本鉄道模型ショー

File02702 本日、第32回日本鉄道模型ショー出展社説明会がショー会場の大田区産業プラザで開催された。

本日参加の出展社にはポスター、チラシ等が配布された。

希望店には、前売り入場券も配布されているので、ご来場を予定されている方は、お求めを。各店とも9月14日より発売予定。

前売り券 ¥800(当日券 ¥1,000)

ご来場をお待ちしています。

2011年9月12日 (月)

糸瓜忌

Hechimakisikian 根岸2丁目にある、俳人正岡子規が明治27年から、亡くなる明治35年まで過ごした旧居「子規庵」にて、毎年、この時期に特別展が行われる。
糸瓜忌とは、子規が明治35年9月19日に糸瓜の句、3句をを絶筆としてその生涯を終えたことに因んで付けられた。
 右のものは、今年の糸瓜忌を伝えるポスター。

 子規庵の向かいには、中村不折の旧居と書道博物館がある。

ご興味のある方は、ご来訪を。

 http://www.shikian.or.jp

*資料は、一部子規庵のパンフレットを参考にした。

東海道用E233系新車回送

 今日、朝から所用で東武動物公園まで出かける用があった。ほぼ1日と思っていたが、都合よく14時ごろには用が済んだので帰ろうと思ったが、同行した息子が、東海道用のE233の新車回送がありというので、東武動物公園から久喜に出て、大宮経由で宮原に言って待つことにした。

Toubudoubutukouen605001
駅に着いたら、タッチの差で久喜行きが出て行ってしまい、次の電車まで20分ほど待つことになった。ちょうどそろそろ引退の噂がある6050系が来たので写真を撮った。
 久喜行きの50000系が来たので、それに乗り2駅先の久喜まで行って、JR東北線に乗り換えた。

Toubukuki5000001 久喜から乗ってきた50000系は、折り返し半蔵門線経由で中央林間まで行く。都心をくくりぬけての相当なロングランだ。

久喜から大宮に出て、高崎線で宮原に向かったが、すでに大宮には、回送待ちのカメラの放列が敷かれていた。宮原に着いたら、こちらもホームの上尾寄りは満員盛況(最近はそういうのをゲキパと言うらしい)待つこと20分くらいでEF641031に牽引されて真新しいE233系が15両でやってきた。
E233kaisoumiyahara列車退避のため1番線に入線した。

E233kaisou64103102 このEF641031は、最近は廃車回送の仕業につく機会が多いのでマニアから「死神」などとありがたくないあだ名を付けられているようだが、今日ばかりは、出来立ての新車を新津から牽引して来ている。

E233kaisou641031 この機関車は、電車の回送用に双頭連結器を備えているが、「あけぼの」牽引の時は自動連結器側を使っているので、普段あまり見る機会の無い電車牽引時の写真も撮っておいた。
 この連結器は、EF641031,1032のほかEF81136,139,144などにも装備されている。

E233kaisouyono  このあとは、場所を与野に移して、京浜東北の大宮行きとかぶらないのを祈りつつ通過を待つ。大宮を出たあと大宮操で後から来る湘南新宿ライナーに先を譲り、16時20分に与野駅を通過していった。

E233kaisouyono02 東海道用のE233系は、現在2本出場した様だ。現在活躍中の同車と、新しく製作した車両とはトイレの位置などが異なるらしい。
今後は、製作を進め全部で14編成が出来、東海道の211系を置き換える予定だ。

2011年9月 5日 (月)

続、昔の写真

 前回に続いて、同じネガからの写真を、紹介しようと思う。
 前回の東大宮の写真は、1977年の1月1日のようだ。ネガの見出しによると、今回紹介するのは、同じ年の1月3日のものだと思う。このときは、正月3ヶ日は、どういったものかは忘れたが、特急の割引か何かあって、それで、東北線の宇都宮以北で、そろそろ終焉間近のEF57を撮影しに行ったのだと思う。一緒に行った我が弟にそのことを聞いたみたが、はっきり行程は思い出せなかったようだ。うろ覚えでその時のことを記しておく事にする。

File026201_2 上野から、特急自由席で直流区間の最北の黒磯に向かった。多分「ひばり」で583系だったような気がする。凍りついた雪が走行の振動で落ちて、床下機器にぶつかり、すさまじい音を立てながら飛ばしていたことは覚えている。
 黒磯に着いて、まず撮ったのが気動車急行の「おが1号」だった。上野からの昼間急行で、秋田までキハ58の長距離を走破する。写真のキハ58は、赤11号と黄5号の修学旅行用800番台をつないでいた。この、急行「おが」は1号は昼間急行で、もう1本の「おが2号」は夜行急行だった。隣はED71で、まだED75に混じって黒磯までやってきていた。

File026301  このあと西那須野や矢板あたりで撮るつもりで居たところ、臨時急行「みはる」という列車が到着した。ED75122の牽引で、到着した列車は、オハ35や中にはスハ32系もついた いかにも寄せ集め客車で編成しました。といわんばかりの急行列車だった。
 ここで、黒磯特有の交直機関車交換を観察した、ED75が切り離されると、続いて黒磯から上野まで牽引するEF58153が入線してきた。数分の作業の後、出発の構内アナウンスがあり、発車時間となる。急行なら西那須野に停車するはずなので、これに乗ることにした。

File026701a_2  ところが、この臨時急行「みはる」は、走り始めるとどんどん加速し始め、相当な速度で、次々駅を通過、結局特急並みの勢いで宇都宮に停車。当てが外れて、仕方なくまた下り列車で戻ることになる。最近は急行、いや快速並みの特急がたくさんあるが、この頃、急行でも特急並みの列車が有ったのだった。

File026801_2

                          
仕方なく、宇都宮まで連れて行かれた我々は、下りの列車が来るまで、EF15やEF57を撮って時間を潰した。その頃は、写真を撮りに行くのに、小型の時刻表しか持って行かなかったので、臨時列車のことまで書いていなかったのが敗因だった。

File026501_4

File026401_2  下り列車で、再び黒磯方面に向かうことにした。時刻表を見ると、岡本で124レに間に合うようなので、下車、到着を待つ。通過のEF58の急行のあと普通上野行きを牽引したEF571がやってきた。 パンタが前に突き出した2号機以降の機関車を期待していたが、逆に結構見慣れた1号機の登場でちょっと残念だった。その割には、4カットも撮っている。

File026601  このあと、場所を代えて、片岡に行った。ネガの見出しには矢板と書いてあるが、写真の新幹線の工事現場の位置からすると、片岡の方が正しいようだ。
 見ての通り、まだ、このあたりでも新幹線の工事が部分的に始まったばかりで、線路をはさんだ向こう側は、まだ手付かずの状態だった。
 この場所で、ただ来る列車を待っていた。EF573が単機回送で黒磯に向かって走っていった。この前にEF58の列車が写っているが、黒磯方面に向かって機関車の次が荷物車なので、荷41レだったのかもしれない。

File026901 振り向いて、撮ったカットがこれ。足元に草も無く結構綺麗に撮れていた。

 EF57もこのあとは、こちらの方まで撮影に行くことも無く、翌年1978年には全廃になってしまった。

 

2011年9月 2日 (金)

昔の写真

 訳あって、昔の写真を探すことになった。目的のものも見つかったのだが、副産物もあったので、ちょっと紹介しようと思う。
File0258a_2  この写真は、東大宮操車場が出来たばかりの1977年1月の撮影である。まだ、直近の土呂駅は出来ておらず、一番近くの駅が東大宮の頃である。 このときは,車で行ったので、確かR122号をひたすら走っていったはずだ。
 写っているのは、いわずと知れた信越線用のEF6221号では有るが、レールの状態から休車の様である。歩道橋の上から、撮影したので、屋根の様子でも撮っておこうと思ったのかもしれない。その割には、もっと複雑な隣のEF80を撮っていないのが残念。

File0260a  歩道橋から 降りたところで操車場の前景を撮ったもの。583系「ゆうづる」や24系「ゆうづる」が2本。急行に使用していたスニ41、115系のデカ目も見える。

 この頃は、在来線の急行特急がまだ花盛りの頃で、尾久操車場に収容しきれない車両を東大宮操車場に回送し、夜行列車の準備をここで行っていたようだった。

 他のカットを見ると、このときすでに引退した「つばさ」用のきは181系も疎開留置されていた。去年この近くに行ってみたが、操車場の回りはフェンスがめぐらされていたり、建物がたっていたりして、今はこのように撮影は出来なくなってしまっている。

File0261a  振り返ると、すぐ後ろには東北線が通っている。おりしもEF58牽引の普通列車の上野行きが通過するところ。確かこの頃は、仙台や一関行きなど、3往復くらい長距離の普通列車があったと思う。現在、このあたりは、宅地化され家が立ち並んでおり、この頃の風景とは一変してしまっている。

 今から34年前の風景。

 他にも出てきたので、折を見て載せてみようと思うが、なにぶんにも、カラープリントで、だいぶ褪色してしまっているので、この頃の色合いを表現するのが難しくなっているのが残念。
 

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