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今日は、遅れている仕事があるので、午前中は、それを進めることにした。何しろ、材質がまちまちのロストワックスの部品を加工しなければならないので、一筋縄では片付かない。もう1ヶ月以上悩みながら進めているが、やっと最終段階にたどり着いた。
それでも、今日は、うまく進まないので、3時頃に切り上げて、気分転換に出かけることにした。
また、坂井泉水に会いに行ってきたのだ。
六本木のB-ingビルで開催されている催しに行ってきた。彼女のデヴューからの写真展が開催されている。(残念ながら中は撮影禁止)
1時間ほどだったが、直筆原稿やプライベートの時に描いた油彩画なども展示されているのを見てきた。PVも全部見ると帰りが遅くなるので、途中で切り上げて、帰ることにした。
帰り道、大江戸線から、山手線に乗り換えるために降りた浜松町で、雪の降りそうな空に落ちかけた日差しを受けたビルが、輝いて見えたので、写真に撮ってみた。
午後の数時間。ホンのちょっと気持ちの切り替え。
昨日は、春分の日。(書いているうちに0時を過ぎていたorz)朝は散歩がてら、裏の線路の御隠殿橋で、カシオペアと北斗星をビデオで撮った。おりしも常磐線を17日のダイヤ改正から走り始めた657系も来たので、それも撮った。ただ、カードの記録速度が遅いのか、動きがぎごちないのが気になる。
午後は、墓参りに行って、帰ってきてから、アキバの書泉ブックタワーに「貨物時刻表」を買いに行った。ところが、一冊も見当たらない。ちょうどそこに有ったらしいスペースに紙が置いてあった。すわ、すでに売り切れか?と思いきや、編集ミスが見つかり、すべて回収になったようだ。結局、無駄足になったので、せっかくだから、予約をしてきた。
ただ、そのまま帰るのも・・・。と思いヨドバシアキバに吸い込まれてしまう。ぶらぶら売り場を歩いているうちに、ふと思いついて、買ってきたものがこれ。
某ブログに出ていたので、 試してみようと思っていた。前にウエザリングマスターと言うのを買ってきたが、あまり使い勝手が良くなかった。そんなに派手にウエザリングするのではないが、最近のプラ製のものには、少しメリハリを付けようかと思っている。
あと、ブラウンとグレーがあったが、いらなそうなのでやめた。そのうち余ったクーラーなどで、練習してみよう。
3月17日のダイヤ改正で臨時列車化した「きたぐに」「日本海」は、マスコミが過熱気味といいたくなるくらい報道していた。最後の・・・とは言っていたが、「廃止」ではなく「臨時列車化」と正しく言って欲しかった。
ま、そんなことはどうでもいい。ただ、東京住まいのわが身では、「きたぐに」も「日本海」も縁の無い列車であった。ミーハーだといわれかねないが、こんな機会でもなければ乗ることも無いだろう。と言うことで、1月に「きたぐに」に乗ったので、3月2日に青森から「日本海」におそらく最初で最後の乗車をした。
行程は、「はやぶさ」で新青森に行き、そこから青森に移動し、夜の「日本海」で大阪に向かうことにした。
東京から新青森までE5の「はやぶさ」で3時間10分時速300khはさすがに早い。ただ、何の新幹線に乗っても味気なさが残る。新青森からは、「スーパー白鳥」の自由席が特急券なしで青森まで乗車できる。
さて、青森に着いたところで、13時過ぎ。「日本海」発車まで6時間以上あるので、青森市内を少し散策し、昼食をとる。その後、列車の写真を撮りに、東青森まで行ったが、貨物の入換は、ホーム上の積もった雪に阻まれ満足に撮れなかった。
17時過ぎまで居て、再び青森に戻り、車内で食べる弁当などを買い、「あけぼの」の発車を撮った。
ホームを移動し、発車前の「日本海」を狙ったが、この日から1輌増車のため、機関車の頭が予想よりも後ろになってしまった。
顔に光が回らないわ、ゲキパで人は入るはで残念ながらまともに撮れなかった。このまま車内で出発を待った。19時31分さんざ運休の恐怖におののきながらも、この日は、とにかく青森を定時に発車してくれた。
しかしながら、この日は、途中の天候があまりよくなくて、途中駅での待ち合わせが悪く、直江津についた時には、15分遅れていた。そのまま富山までいき加賀温泉では、後続の特急「サンダーバード」に抜かれてしまった。
このあたりから、特急待ちで遅れが広がり始め、金沢では20分。福井では後続の「サンダーバード」に乗り換えの案内まで始めた。しかし乗っている客のほとんどは、マニアと「日本海」乗車ツアーの客なので、乗り換えたのはほんの数人だった。
敦賀に着く頃には定時より40分遅れになってしまった。ここでは、機関車の交換で20分停車する、この列車の1大イベントなので、乗客のほとんどがそのシーンを見にやってきていた。
この日は、青森から牽引の101から108に交換になった。この機関車が最終日まで交互に牽引していたようだった。
ここから京都まで、「日本海」は湖西線まわりになる。途中、朝日に琵琶湖が輝いていた。
40分の遅れを引きずったまま、京都へそのまま新大阪に着いたときは、」40分遅れであったが、後6分の距離で、「こうのとり」「スーパーはくと」の2本の特急を待つため20分停車した。
結局、終点の大阪には、1時間遅れの11時26分に到着した。
(たぶん)最初で最後の「日本海」全線走破は、とりあえず無事終了した。「きたぐに」も「日本海」も季節臨時として、来るゴールデンウイークには設定されているが、両方共にB寝台のみのモノクラスになってしまい、尚且つ「きたぐに」は自由席無しのオール寝台扱いになってしまう。
JRの定期夜行列車も、残るは、「あけぼの」「北斗星」「カシオペア」「トワイライト」と「はまなす」電車寝台の「サンライズ瀬戸・出雲」になってしまった。残念ながら、残る夜行列車もいつ廃止になるか、先行きは、暗いようだ。
明日からのJRダイヤ改正により、今日までに引退する列車、車両が有る。テレビでも新聞でも大きく取り上げられるほど、一種の過熱状態だ。
本日限りで、東海道・山陽新幹線から、100系、300系が引退した。(100系は、東海道区間ではすでに引退している)
300系は、初代の「のぞみ」として1992年の改正で登場した、0系、100系に次いで3代目のシリーズとして登場した車両である。「のぞみ」はその後、すでに引退した500系、700系、そして、現在のN700系と移行して行った。
そこで、最後の雄姿を撮りに・・・。とんでもない、今日は仕事中、まして、あの人ごみなど行く気が起こらない。
では、因みに300系の登場した時の写真をご覧頂こうと思う。
これは、1992年3月8日に、鉄道友の会東京支部で、ダイヤ改正前に行われた試乗会の際のものである。試乗を終えて、新大阪で、東京行きの試乗会に向かう300系の写真である。
入線してきた、真新しい300系の姿。ホームにいるのは、これから東京に向けて試乗車に乗る招待客である。
先頭には、報道のテレビクルーのほか一目見ようとやってきたマニア。それでも現在の過熱ぶりほどではない。
隣のホームには、当時まだ現役の0系がやってきた。新幹線の代名詞と言えば、前面の光先頭が代名詞だった。100系もこのデザインを踏襲したが、300系は大きくデザインを変えた。車体高さも低くなり精悍なスタイルになったが、登場時は、あまり好きではなかった。500系が登場した時は、画期的なデザインでかっこよくなったと思った反面、700系が登場した時は、あまりの間抜けなデザインでがっかりした。(真横から見るとすごいのだが)
とはいえ、20年で引退とは、新幹線車両の寿命の短さと、性能の進歩の速さのなせることだろう。
今日限りで、引退した300系に思いを寄せてみた。
息子が、学校で使うパソコンを買ったので、自室でインターネットを使いたい。というので、環境を無線LANにすることにした。
昨日、確定申告も済んだので、今までの有線ルーターから、新しい無線ルーターに交換をした。
設定の説明書によると、簡単に設定が出来るようだが、説明書どおりに、設定を行ったが、例によって、そのとおりには進まず、あーだ、こーだやりながらもまったく解決せず、息子はダチに救援を求めるも、要領を得ず、結局、数分で出来る設定に、ほかの設定ソフトを使い、3時間近くを要し、とりあえず開通となった。終わったのが2時過ぎ。
だから、もう少し挿せばすぐ使える様な、簡単なのにならぬものか。(それでも簡単な方です・・・て?)
確定申告真っ最中!
この時期、憂鬱でとても面倒。またあの証明が無いとかこの書類が無いとか、あちこち探し回るのがたいへん。
纏めて置いたつもりが、いつの間にか行方不明。
どこいった~。
と言うわけで、ブログ更新はお預け中!
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