深い悲しみの日
とても悲しい日でした。
中学以来、今まで長きにわたって、大の友人が、急逝しました。彼は、流山電鉄を長きにわたって研究記録を続けていました。私も模型の資料を分けていただいたりしました。そのほか、隅田川沿いの荒川、白鬚西地区・汐入の再開発を、その初めから完成までを、無くなっていく一つの街の姿を記録し続けました。彼の研究調査はあくまでも個人の研究ではありますが、恐ろしく緻密で、深いものになっていました、一度は出版や展示会を勧めたこともありましたが、本人は「あくまでも自分の趣味の世界だから」と言って公開はしませんでした。ただ、彼は、資料の写真を撮っても、必ず、撮影に協力してくれた方の恩を忘れず、引き延ばした写真を届けたりして、関係の人たちとのコミュニケーションを忘れないことでした。撮影お断りと言われ人でも、彼だけには撮影を許されていたこともありました。
最近は、父親の面倒を見るのが日課となって、グループホームに毎日通っていましたが、そこでも一緒に入居しているお年寄りのあいてをしてあげたり、面倒見のいい人でした。
最後に彼にあったのは、今月初めころ、グループホームに向かうついでに、うちによって話をしたのが最後になってしまいました。「来年、流山電鉄が100周年を迎えるので、その資料をまとめないと」と言って居たので、何か協力できることが有れな言ってください。と言ったような会話が最後になりました。
うちに来るときは、いつも自転車で、フラーっという感じでやってきました。
また、明日あたり、来てくれそうな気が今でもしています。
残念でなりません。 合掌。
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心中お察し申し上げます。
斯様な報せって、本当に寂しいですよね。
健康でいられることに感謝しつつ、生きて活きることが務めだと思いますよ。
投稿: OER3001 | 2015年3月26日 (木) 23時30分
こんにちは、初めて投稿させていただきます。
本件、たった今知りました。お名前が記事には公表されていませんでしたが、記事の内容からして、東上野のOさんですか?私の地元でも有名な人で、街の再開発によって消えゆく旧い風景を記録し続けている人です。町会や神社の行事があると必ず我が町にいらしてカメラとノートをもって記録していました。
私が鉄道好きなのをどこからか知って、会うと必ず鉄道談議が始まります。そんな中で、私と工房5丁目さんが知り合いだと判ると、延々と今度は工房5丁目さんとの幼馴染の話が始まるのでした。
今年、最後にお会いしたのは確か、胡録神社の節分祭の時だったと思います。その時は元気そうだったのに・・・彼からお預かりしている写真や資料も結構あります。
遅ればせながら、心より御冥福をお祈り申し上げます。
投稿: 汐入日本人 | 2015年5月 5日 (火) 19時08分